日本遺産の「北前船の寄港地・船主集落」新温泉町諸寄ガイドツアーの映像制作をしました。
コロナ禍による、現地ガイドが案内するバーチャルツアーのダイジェスト映像は、
もっと詳しく知るために現地に行ってみたくなりますよね。
諸寄港は、扇を開いたように湾が広がる天然の良港で、北前船の風待ち・潮待ち大湊として栄え、海産物や砥石などが船積みされました。
北前船を係留した杭の跡が多数残されており、岩に「丸型」や「正方形」に穴を開けたものや、「めぐり型」と呼ばれているドーム型に繰り抜いた「もやい岩」ものなど、様々あります。
北前船で「人」「物」が行き交い、全国の多くの文化が混流し、地域の人々に大きな影響を与えました。
そのため、諸寄地区からは、明治の歌人前田純孝や異色の日本画家谷角日沙春、社会教育家篠原無然、日本画家でろうあ者の教育と社会参加に尽力した藤田威など、多くの文化人や画家を輩出しています。
為世永神社の祭神は「伊弉諾尊・伊弉冉尊・塩土翁尊」で、塩土翁尊は、海幸彦・山幸彦神話に登場する潮路・海路をつかさどる海の神です。
江戸時代の天保期から明治期にかけて航海の安全を祈願して奉納された5枚の船絵馬が奉納されている。現在は、彩色保護のため、諸寄地区内の八坂神社社務所祈願所に掲げられています。
廻船問屋「東藤田家」は、明治3年(1870)に三百石積の船を所有し、本格的に廻船業を始め、諸寄港の積出商品「諸寄砥石」を全国に運び、財をなしたと言われています。
昭和4年には、(1929)京都久邇宮多嘉王殿下ご家族が避暑地として諸寄に来られるようになり、翌五年東藤田家が塩谷海岸に久邇宮家ご滞在用の別荘を建て、同14年まで毎夏久邇宮家を塩谷の別荘にお迎えした。現在、東藤田家は、「ゲストハウス」として公開されています。
現地ツアーガイドが案内し、その土地の観光スポットや現地の人しか知らない穴場は、ガイドの大切さや価値の高さがよく分かります。
「なぜ、◯◯は、△△なのか?」みたいなテーマを設定し、それを探るようなストーリーを演出できたら、観光客も満足できるものになるでしょう。
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